旅のはなし

2006年3月19日 (日)

1993年・その1

学生時代はよく旅をした。もっぱら国内専門だった私が、14年前の春、母や友人の勧めでタイひとり旅に出た。ひと月タイの各地を回りながら、何人かの日本人とも知り合った。その出会いがきっかけで、1年後の2月、バングラデシュへ行くことになった。

朝一番の新幹線で東京へ向かい、東京駅で乗り換え、成田空港へ向かう。それからバックパッカー御用達のビーマン・バングラデシュ航空で一路バングラデシュの首都・ダッカへ。片道16時間の旅。周りは旅費を安くしようとする日本人旅行者と、シンガポールから乗ってきた里帰りのベンガル人(=バングラデシュ人)。私の近くには、これからネパールでトレッキングに行くというおば様2人組。ダッカで1泊してカトマンズに向かうという。

ダッカの空港についてぎょっとした。着いたのは夜9時は回っていたと思うが、まずタラップに殺到するベンガル人。そして空港バス(空港ビルまで運んでくれる)に殺到する人・人・人…。暗いからありがもぞもぞ動いているように見える。おば様方と3人で、降りるのを一瞬ためらってしまった。「バスは全員乗せてもらえますよね」「足りなかったら、ピストン輸送してもらえますよね」なんて会話を交わしながら、なんとかバスに乗り込んだ。

空港ビルまで着いたら、次は迎えに来てくれているはずの友人を探す。友人は大使館の職員なので、イミグレの中まで入れるが、なんといっても1年ぶりに会うからどんな顔だったか心もとない。写真を見て友人の顔を思い出していると、名前を呼ばれ、なんとか再会。ここでおば様方とお別れ。無事に宿にたどりつけただろうか…。その夜は、友人の家に着いて自分の部屋に案内されたらすぐに眠ってしまった…。

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1993年・その2

友人の家にはゲストルームがいくつかあって、私のように居候の日本人が何人かいた。バングラデシュの日本大使館に勤務していて任期が終わり帰国直前の職員のご夫妻、シリアから留学の帰り道に立ち寄ったという友人の後輩(Mさん)。しょっちゅう登場する青年海外協力隊の隊員さんたち。私よりはいくらかこの街に慣れている人たちに誘われて、街に出かけることにした。

バングラデシュには観光名所が少ない。遺跡も、毎年の洪水のためあまり残っていない。残っていても保存状態は悪い。まず出かけたのは、「お土産物屋さん」。そこで民族衣装を買い求め、そのかっこう(サルワ・カミューズ)で、リキシャ(自転車のついた人力車)やベビータクシー(ベビタク=三輪自動車)に乗って、シリア帰りのMさんとあちこちでかけた。

まずは、「高級住宅街」と言われているグルシャンのマーケット。「ボクシーシ(お恵みを)」と言って近づいてくる子どもたちに固まってしまう。Mさんはするりするりとかわして歩いていく。私はどうしたらいいのだろう?「バングラデシュ」という国に対して、ほとんど予備知識もないまま来てしまった自分ではあったが、彼らの置かれた状況を知りこそすれ同情はしたくない。彼らにとってどうすることが最善なのか…帰国するまで悩んだ。

NATIONAL MUSEUMNEW MARKET(旧市街に近い、こぎれいなマーケット。慣れてきたら一人でふらふらとよく出かけていった)、それから、Mさんの紹介でベンガル語(バングラデシュの言葉)の歌の先生のところにも通った。大学を出たばかりで、就職活動中のJEFORさんが先生。タイに行く前は、留学生についてあいさつと買い物くらいの会話は習ったけど、今回はその暇はなかった。旅に出たら、英語(体当たりイングリッシュ)よりやっぱり現地の言葉の方がその国の人と近くなれる気がする。今回は滞在中に協力隊のT隊員から、文字を習ったり、片言の単語を教えてもらったりしたが、せっかくだからと、歌も習ってみた。

そんなこんなで、1週間の滞在予定がどんどんのびていった。ちょうど断食月だったので、町の飲食店は昼間はカーテンがかかっていて、水分補給でさえもカーテンにかくれてこそこそ…といった感じなのだが、もともと女性が一人で出歩くのも珍しい国。かえってカーテンがあってよかったのかもしれない。少しずつ町に慣れ、人に慣れていった。そして旧市街の手前までなら一人で出かけられるようになった。

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OLD DHAKA DAIRY TOUR

そんなある日の夜、友人がにたにたと笑いながら話しかけてきた。「明日、予定はありますか?」「(なんだろ??)ないけど…。」「明日は協力隊のT隊員が休みだそうなので、Mさんと3人でOLD DHAKA DAILY TOURなんてどうですか?」「オールドダッカ(旧市街)!?行きたいです!」旧市街はひとりで出かけてはだめだと、ずっと釘を刺されていた。バングラデシュに着いて3日目に、オールドダッカをベビタクに乗って通り抜けて、船遊びに連れて行ってもらって以来近寄っていない。というより近寄れなかった。ダッカのディープなところなのだ…。T隊員いわく「暑くなる前にでかけましょう。」ということになった。

でも結局出発できたのは10時半頃。かなり暑くなっていた。T隊員が私の宿泊先まで迎えに来てくれて、Mさんと3人で歩いて出かける。いつもだと友人宅の使用人が近くにいるベビタクを呼んできてくれて、値段交渉をしてくれる。でも、今日は流しているベビタクをつかまえるところから始まった。T隊員「……」、ベビタクのにーちゃん「……」、T隊員「ナー(NO !)」、にーちゃん「○●☆※!!」、でも無視して通り過ぎるT隊員。交渉決裂らしい。暑い中涼しい顔して歩く歩く…。私「安くするって言ってるんですか?(暑いのにこだわるな~)。」、T隊員「そうだけど、他にもいるし。」たしかに、先を急ぐ必要はない。このやりとりを見ているベビタクのにーちゃんは他にもいくらでもいる。そのうちの一人が寄ってきて、こんどは交渉成立。一路オールドダッカへ。時間の流れ方がいつもより緩やかに感じる。

広くてそれなりにきれいだった道も、狭くガタガタしてきたところで車を降りた。さらに狭い路地へと入る。3人では並んで歩けないくらいの幅の道をスピードを出してリキシャが走り抜ける。リキシャの車輪に足を踏まれかねない。結構危ない…。「この前は船着場までベビタクだったけど、今日は歩きなんですね。」と言うと、T隊員「ベビー(ベビタク)も窓ガラスがないから風が入るし、リキシャも風を切って走れて味があるけど、ベビーよりリキシャ、リキシャより歩きの方が視点が近くなるやろ。」国内の旅行ではよく歩いた私も納得。この国ではいろんな乗り物が珍しくて、それから何よりも暑くて、歩かなくなっていたけど。「町並みの写真を撮ってもいいですか?」「……後ろに隠れて肩越しにな。見せもん違うから。」後になってから気づいたが、T隊員がベンガル人を大切に思っている、その気持ちがあらわれた言葉だったのか。

しばらくして休憩。T隊員の知り合いの家だと言う。貝細工を作っている家だった。ヒンズー教徒で、バングラでは少数派。家族みんな、もちろん子どもたちも一緒に貝細工を作っていた。当然学校には行っていないのだろう…。

狭い路地を歩き回って「ピンクビルディング」と呼ばれている建物に到着。少し前までは自由に中に入れたが、今は博物館として整備され、入場料も払う。イギリス統治時代の富豪の住居だという。芝生もきれいで、今までの町並みとのギャップは大きい。建物のいたるところにある<進入禁止>の札の前でT隊員「ちょっと前までは勝手に入れたのに。」キャプション(英語)を一生懸命読んでいたら、「じゃあ、ここはさっさと通り過ぎて。」えっ何で?博物館めぐりも好きな私には信じられない。キャプション読まなかったら、ここのことわかんないじゃないの~!“読むより見ろ!”ということなのか…。

そして船着場へ。船着場の前の建物の屋上でヤギを飼っている(!)という。それを見に行く。途中の階には長い労働時間の上低賃金で働く女性たちのいる工場。今日は休みのようだったが。バングラ版女工哀史。

船に乗る。ブリゴンガ(ガンジス川のなれのはて)を渡る風が気持ち良い。対岸へ渡り、中国の援助で作られたという「チャイニーズ・ブリッジ」を渡り、路上アイスクリーム屋をひやかし、またまたベビタクのおじさんと値段交渉をして、トルカリ(バングラデシュのカレー)屋へと向かった。40度近いであろう気温の中、歩き続けて4時間半のTOURが終わった。

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村へ ①

バングラデシュに着いてすぐに、いつまで滞在するつもりなのか、Mさんに聞かれた。5日間、と答えたら、それじゃあバングラの魅力はわからない、地方にも行けないよ、と言われて、10日間に延ばした。地方が任地の青年海外協力隊の女性隊員の方と、彼女の任地に連れて行ってもらうことになった。「ガンジス川の川べりを、お散歩しましょうね。」って言われて、とっても楽しみにしていた。

そしたら、彼女が怪我をしてしまって、しばらくはダッカにいることになった。だから、地方へ行くのもキャンセル。あらら、どうしましょって思っていたら。。。Mさんが、Mさんちの使用人のゴメスさんの実家へ行くようとりはからってくれた。

ゴメスさんはMさんちの4人いる使用人の中でも兄貴分。彼に頼めば何でも、助けてくれる。料理も上手、彼の天ぷらはとっても美味しい!デザートだって作れちゃう。英語も流暢で、実は大学を卒業しているのだとか。このあたり、バングラの就職事情が垣間見られるのだけど。。。少し前に結婚したばかりで、彼の実家のある村で結婚式を挙げて以来、帰省していないとか。Mさん「新婚だし、嫁さんの顔も見たいだろうから、里帰りってことで。」というわけで、それにくっついて村へ行くことに決まった。

その日の朝、ゴメスさんと2人で行くのかと思っていたら、1人のおばさんを紹介された。ゴメスさんのお姉さんだと言う。それにしても、かなり年が離れてる??めがねをかけて、横幅の大きい方。私とゴメス姉弟で、ベビタクに乗り込み、Mさんちを出発した。

ベビタク、後部座席は狭い。このおばさんも一緒で乗れるのかな?って心配してたけど、ゴメちゃんは運転席の隣に腰掛けた。そっか、そういう方法もあるのか。。。でも、安定悪そう。

すぐに村に行くのかと思っていたら、おばさんの自宅に寄るんだという。そこでさらに荷物を詰め込む。おばさんの息子さんにも紹介してもらった。まだ10代くらいの男の子2人。その2人に見送ってもらって、いよいよ村へ。

村への道中…確か2時間くらい乗ってたと思うんだけど、ひたすらおばさんはしゃべり続けた。自分がクリスチャンであること、ダッカの教会に通っていること、ドネイションのこと。たぶんそんなことをしゃべっていたんだと思う。ゴメちゃんは大卒のインテリできれいな英語をしゃべるけど、おばちゃんの英語は全ては聞き取れない。でもきっと、バングラの女の人の中ではよくしゃべれる方なんじゃないかな。息子には留学させたい、その方がよい仕事に就けるから。。。。

と話しているうちに急に、「お前は何でそんなに色が白いんだ。どんなクリームを使ってるんだ?お前が帰国したら、お前が使ってるmedical beauty creamを送って欲しい。」と言い出した。だってまだ、バングラにきて1週間たったばかり。そんなに早く日焼けしてしまったら、私だってショックだ。冬の終わりの日本から来たからまだ、顔の色が白かったのだ。

どうやって答えたかもう、よく覚えていない。たぶん適当に、「わかった、何とかする。」とでも言ったのか、それとも、「medical beauty creamなんて持ってない。」って、生真面目に答えたのか。。。そうこうしているうちに、小さな村に着いた。

ここが目的地かと思ったら、そこでさらにリキシャに乗り換え。ここから先はベビタクでは走れないからだという。。。私はどんなところに連れて行かれるのか??

リキシャは、、、これも自転車に人力車がついたような乗り物だから、リキシャワラ1人でこぐのに大人3人も乗って、申し訳ないくらい。ほんとは定員2人って言いたいくらいじゃないかな。それに乗って30分ほど走っただろうか、ようやくゴメチャンとおばさんのふるさとに着いた。ガジプール県ナゴリ村という地名は、ダッカに戻ってから知った。

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